8月 12, 2009 - Posted by miyazaki- 0 Comments
社会主義と資本主義の微妙なバランスが崩れ、かっての社会主義国が国内に資本主義的な仕組みを導入し、アメリカが世界の資本主義の中心となり傲慢になり、本来実業のサポート役としての金融が主役に躍り出て、世界の資本主義的システムがカジノ化し、いわゆる金融資本主義が跋扈し、そして、現在システムそのものが行き詰まり、大恐慌の匂いが濃厚になっている。
このような混乱の中で、プーチンが国内2百数十社の民間企業を国を挙げて保護すると宣言した。つまり国家資本主義の登場である。
同時に、従来の資本主義陣営の中から、公益資本主義の発想が生まれてきた。
企業は本来株主のためにあるのではない。企業は公益のために存在するのだ、という発想。
これらの主義が今後世界の中で、どのような現実となって、いくのだろう?
大きなうねりの中で自社の理念や事業活動の方法論を再検討する必要性が日増しに高まってきているように感じるのは私だけだろうか?
8月 5, 2009 - Posted by miyazaki- 0 Comments
世界:ソビエトとアメリカの冷戦時代、それまでは資本主義陣営の中にもあった社会主義的要素・・・生きていくうえでの基本的人権への(多少の)配慮や平等への(多少の)配慮は、ソビエト崩壊を機に、アメリカの独善の道をまっしぐら。それに追従して来た日本。あげくアメリカ発サブプライムローン問題から世界の金融資本主義が揺らいだ・・今も。新しい秩序を見出せないまま漂っている。
日本:異様な殺人事件の頻発、ワーキングプア、自殺者の増加、戦後構築してきたすべてに対しての行き詰まり感。
企業:今までの発想、今までのやり方、があっという間に通用しなくなる現実。同じ発想、同じやり方の中で続く過当競争。
個人:歴史という独立した学科なきまま、日本国民としての共通のアイデンテティーを持つ機会を奪われ、たった半世紀の短期間の間に失われてしまった日本人としての誇り、そして生きる根拠。国内には、まるで「業者」と「消費者」が存在するだけで、「市民」の存在が極端に希薄化した。
これから始まる新しい胎動はかすかに聞こえては来るが、まだまだ今という現実に姿を現すには程遠い。
こんな世の中に翻弄されて、子供たちに「将来の夢は?」と聞くことほどおぞましいことはないと感じる。
自分がなりたかった自分になりつつある姿を静かに示すのみ、あきらめずに!
それが精一杯、子供たちにしてあげられること、自分のためにも・・
7月 25, 2009 - Posted by miyazaki- 0 Comments
時代の基幹産業が牽引役となって、多くの雇用を生み出しながら、草創期・成長期・成熟期・衰退期という曲線を描く。
過去を振り返れば、繊維産業→鉄鋼産業→IT産業とほぼ40年のサイクルで推移してきている。
中古農機をネットで、というビジネスモデルは、そうした過去の産業の発達史から派生したいわゆるサービス産業であると捉えることができる。
内燃機関の発達により自動車・飛行機・列車などのそれぞれの基幹産業が大躍進し、それに伴うサービス産業が派生してきたわけである。
その中でもエンジン搭載の農業機械の発達とそれに続く中古農機の流通。
同時にクリントン政権化のアメリカ、とくにシリコンバレーを発祥の地とするIT産業の飛躍により、中古農機のネット販売という形が成立する状況が整ったわけである。
しかし、その前提のどれかが大きく変化することによって泡沫のように一瞬で消え去るもろさもまた存在することは否定できない。
もっと厳しい見方で言えば、ポストIT産業にくるもの・・に触れているとは到底思えない。
例外があるとすれば、絶えず先端技術への関心とその手法の導入をという意識を持ち続け、又導入を実践している場合だけだろう。
また、行き過ぎた金融資本主義がもたらした世界経済への不安定化をもたらした要因に対する分析の反省のもと、事業の新たな価値付け(社会にとっての)の作業を行わなければ、今回の事件(!)から学んだことにはならないし、次の時代をになう流れには乗れないだろう。(次の流れを生み出す一翼を担えないだろう!)
まさにプールサイドから自分を見つめる視点として今最も参考になるのが、『原丈人』である。
今この人の活動とその思想から大きな影響を受けている。
7月 14, 2009 - Posted by miyazaki- 0 Comments
時代の波乗り法 NO5で考えた 『複眼の視点』
要するに外部から自分を見るための視点が必要という主旨。
「外部の視点」の外部、というのをもう一度考えてみた。
空間的な広がりの中で、地政学的な観点から自分を見る、という姿勢の他に、もう一つの視点があることを忘れていた。
時間的な広がりの中で自分を見る視点。
今という時代が、歴史のうねりのかでどんな意味を持つのか・・・
忘れていたとはいえ、ものを考える上で大きな影響を受けていたのが、
村山節(タカシ)800年周期説
ラビ・バトラ
など。
いずれにせよ、現在地を知る上でも、また進むべき進路を見極めるためにも時空を超えた視点の確認が必要であることに違いはない。
自分の五感では届かない広さ、大きな時間のうねりの『意味』については、やはり謙虚に学ぶ必要があるのだと思う。
そこに学ぶことの意味があるのなら、大いに学びそこから得た視点からもう一度自分を見直す作業
を繰り返し継続する以外に事業を継続し発展させることは困難だと思う。
6月 27, 2009 - Posted by miyazaki- 0 Comments
向かうべき方向性を絞り込むためには、自社の内部をチェックする視点が必要なのは言うまでもないが、安定して内部に利益をもたらす前提条件は、むしろ外部から自社を見つめる視点によるところが大である。
「自社丸」という名の小船の進路・・・
それぞれ水を張った大中小のタライが、自分より大きなタライの中にそれぞれ浮いている。そして大タライがプールの中に浮いている。小タライの中に「自社丸」という名の「わが社」のお船が浮かんでいる。
小タライは「自社丸」所在の県。中タライは日本。大タライはアジア。プールサイドは地球・・・と仮定してみる。
「自社丸」は、小タライの中で自力で前進している【つもりでいる】!
しかし、大きく風に流されて大タライごと後方に運ばれているとしたら・・・
それなら、「自社丸」の進路は、小タライから見て180度方向転換しなければならない。
大中小それぞれのタライから「自社丸」を見る視点と、プールサイド(地球)から見る視点、これらの視点が外部からの視点、という意味である。
卑近な例を挙げれば、ネットというもはや国境を越えてボーダーレスに情報が飛び交うツールを利用していながら、たまたま日本に生まれたからといって、日本語のみでHPやポータルサイトを運用しているのは、ネットの持つボーダーレスという特性を自ら断ち切っていいるようなものである。
先の例えでいえば、中タライ(日本)からの視点に安住していることになる。(島国育ち!)
こんなことを日々、いろんな外国語で下さるメールを見ながらいつも感じていることである。