時代の波乗り法 NO15 『常識・非常識 その2』
先回書いた同じテーマについてもう少し整理してみた。
ビジネスの世界では『常識』だけで生きていこうとすると、競争になる。
『常識』の定義については、色々あるが、ここでは【同じ考え方をする人が多数を占めるときの、その考え方】とする。
生活の安定のため又は自分の優位性を示す為に受験勉強する・メーカーがシェア争いを繰り広げる・・・・・
ここで過去からの宮崎(家)の変遷で『常識』から逸脱?と思われる、出来事をあげてみると
- 第三子を自宅出産
- 宮崎、死の宣告を受けるも、入院せず自宅で食養生
- それまでの地元のお得意様をすべて手放す
- 家族は母親以外病院にかかった事が無い(歯医者以外)
- フッ素洗口はしたことがない
- 肉食はやめている(ソフトベジ)
- 長女は高校入学直後、必要性を感じない為、退学(学歴で生きることを断念)
- 次女は小4だが完璧な不登校児
- 農機具業なのに月一で料理教室を開催
- 残業は一切しないさせない
- 長男は6年間、学校給食を利用せず手作り弁当を持っていっていた
つまり世間の常識と少し異なる生き方を宮崎家はやってきた。
人と異なることをするのが目的ではなく、自分や自分の家族にとって一番自然な選択をしてきたら結果としてそのような選択になったということだ。
そこには自分の気持ちに反して、世間の常識に合わせていかなければならないという強迫観念は無かった。
いや無かったというのではない。
正直な気持ちで一歩を踏み出してみたら、その行動様式が『普通』『一般的』『常識的』では無かったのに驚き、たじろぎ、でもやはり勇気をもって実践し続けてきた、といったところか?
そこでは家族内や親戚の中でもさざなみが起こり確執が生まれたが、結果的にはすばらしい生活がまっていた。
わがままと正直さとは似て非なるものである、と言い聞かせたことが昨日のことのようだ。
そのような背景があり現在の業態が生まれたわけだが、生き方が今までのやり方から自分流になる時は非常識の様相を呈するが、そこで飛躍が起こり今までに無い新たな空気が流れ始め、すべてが活性化し再生する。
しかし時がたつにつれ、継続性・正確性が基本的になると、シフトした当初の非常識な状態が薄れ、日常性に支配されてくる。それが当たり前となってくる。
そこでは再び、非常識に対して常識が支配的な空気となる。
非常識・自己否定など当の組織にとって否定的な要素は否定的だからといってそれこそ否定してはならないと思う。
この否定的な要素のことを【混沌・カオス】と言い換えれば、この要素を否定し排除する組織は、あっという間に形骸化しマンネリ化し硬直化し時代の流れから取り残されることだろう。
だからといって【混沌・カオス】を野放しにしてしまったら、混沌を抜け出て飛躍直後からの安定期に向けた秩序つくりは不可能となり、その組織は本来迎えるべき安定期を『安定的に』経験することなく、崩壊していくことだろう。
【混沌・カオス】を内部に上手に抱え込みながら要所要所でそのエネルギーを解放し、絶えず組織が硬直化しないように活性化するための方法論が必要となるわけである。
This entry was posted on 金曜日, 3月 19th, 2010 at 15:14 and is filed under 時代の波乗り法. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.
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