M2 Planning: M2企画 presents ’企画が人生を変える’
上越タイムス広告 11月

11月は大橋建築設計工房さんをご紹介させていただきました。
大橋さんには、宮崎農機具店の改装も手がけていただいたのです。お蔭様でみんなこのお家が大好きです。
まず色が良いんですよね。自然な素材の、こげ茶・茶色・白、の温かみ。
そして、茶の間は昔の土間の面影を残して天井が高かったり、割と壁が少なかったり、家全体の空間を空ける、という事を尊重されています。
これはどうしてですかとお伺いしたところ、「西洋は“閉じる”という建築様式だけど、日本の建築は、“空ける”様式だからです。日本はそうやって自然を家の中にまで取り込んできたのです。」
なのだそうです。なるほどー。
おかげで夏は涼しく、冬は寒いですが、「寒かったら厚着をすれば良い。家は人を過保護にしたらいけないと思います。」
なんだそうです。なるほど~!
建築って深いなぁと思いました。
家のことをたくさん勉強され、ふかーいところまで行くと「人間にとって本当に必要なものは何か」っていう哲学的な部分まで到達して、そしてそこへ触れた建築家さんの作る家にはその設計士さんの哲学が織り込まれてるんですね。いやーすごいな。
家って建築家さんの頭の中、考えが形になって出来てるんですもんね。ていうか頭の中で描いたイメージを、こんなにスケールの大きな形で、物質として、ありありと体感できるってすごいです。「夢をかなえる」って事を、物質的に表現してしまう・・・。すごい。
私には理解が難しく、広告に反映できなかった大橋さんの言葉をご紹介いたします。
「家を建てるって事は、ある意味とっても不自然なことなんです。それをいかに自然にしていくかというのが建築家の問われるところです。」
うーん、難しい!でも興味深い!真相を知りたいところです。
あ、ちなみに大橋さんはfarmer’s table ふゆのひさんのご自宅&お店の建築もされています。ふゆのひさんご自宅は、賞をとられたそうです。
こちらのページに、大橋さんのコメントが掲載させています。ご覧下さい。
らん
上越タイムス広告 10月

(クリックで拡大)
10月は、高橋鉄雄さんの陶芸アトリエ“滝寺窯”でした。
社長が尊敬してやまない、高橋さん。本当に穏やかで温かな方です。器も素敵です。また滝寺っていう場所も良いんですよー。
先回ご紹介した「森のようちえん てくてく」さんとは場所も近く、よく交流されているようです。
てくてくには園歌があるのですが、てくてく園長先生の小菅さんによる詩に、高橋さんは曲をつけられたんだそうです。高橋さんはギターも弾かれます。
それにしても森のようちえんてくてくと、高橋さん・・・、絵になるなぁー。
こちらのHPに器が沢山紹介されてます。良ければご覧下さい。
らん
9月 お店紹介広告
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9月のお店紹介は「緑とくらしの学校」さんの活動のひとつ「森のようちえん てくてく」でした。
主催者の小菅さんの車に乗せてもらってインタビューに応えていただきながら広場や事務所を見せてもらったんですが、小菅さんのお人柄も、森も事務所もナチュラルでオーガニックな空気が流れていてとてーも居心地が良かったです。今回は夏休み中だったので叶いませんでしたが、今度ぜひ一度森のようちえんを見学させてもらいたいです。
らん
8月のお店紹介
8月は「すずしろ助産院」さんでした。
高橋さんのお話はほんっとに面白いです!高梁さん自身の歴史も、お産のエピソードも、高橋さんの深い知識も、どれもとても印象的で、毎回お話を聞くたびに新鮮で、何より高橋さんの話し方が物凄い上手で、話し上手のお手本を目の当たりにして感動しっぱなしでした。
そしてやっぱり赤ちゃんがいるってのは良いですね!ありがたいことに宮農の自然食品店にはたくさんの赤ちゃんとお母さんが出入りしてくれて、その度店内が温かで力強いエネルギーに溢れます。もっと遊びに来てもらいたいものです。
らん
時代の波乗り法 NO12 『金融資本主義VS国家資本主義VS公益資本主義』
社会主義と資本主義の微妙なバランスが崩れ、かっての社会主義国が国内に資本主義的な仕組みを導入し、アメリカが世界の資本主義の中心となり傲慢になり、本来実業のサポート役としての金融が主役に躍り出て、世界の資本主義的システムがカジノ化し、いわゆる金融資本主義が跋扈し、そして、現在システムそのものが行き詰まり、大恐慌の匂いが濃厚になっている。
このような混乱の中で、プーチンが国内2百数十社の民間企業を国を挙げて保護すると宣言した。つまり国家資本主義の登場である。
同時に、従来の資本主義陣営の中から、公益資本主義の発想が生まれてきた。
企業は本来株主のためにあるのではない。企業は公益のために存在するのだ、という発想。
これらの主義が今後世界の中で、どのような現実となって、いくのだろう?
大きなうねりの中で自社の理念や事業活動の方法論を再検討する必要性が日増しに高まってきているように感じるのは私だけだろうか?
自己イメージ
最近気になることがある。
それは「自己イメージ」について、である。
自営業を生業としているため、結構営業の方が飛び込みで来店されることが多い。
皆さんと会話していて感じること。(特に若手の営業の方々)
自分の所属している組織の中に自分がすっぽり(しかも小さく!)はまり込んでいる印象を受けるのだ。
組織の中で培われたであろうソツのない営業トーク。
コンビニの店員さんのマニュアルトーク(イラッシャイマセ、コンニチワー)を聞いた時と同じ印象(ホントの自分はミセマセン!)を受けたりして・・
でも、お話をお聞きするこちらとしては、つまらない、物足りない。
話が深まっていかないもどかしさ・・
そうではなくて、こうなんというか・・大きな自己イメージ・・極端な言い方を許してもらえるとすれば、宇宙を手のひらに乗っけてしまうような・・
イメージにはお金がかからないのだし、想像の世界をまで現実の制約で汚染させてはいけないのだと思う。
逆にそれができさえすれば、国籍の違いを超えて、宗教の違いを超えて、信念の違いを超えて、職業の違いを超えて、趣味の違いを超えて、性の違いを超えて、世代の違いを超えて共生できるのだと思う。
時代の波乗り法 NO11 『産みの苦しみ』
世界:ソビエトとアメリカの冷戦時代、それまでは資本主義陣営の中にもあった社会主義的要素・・・生きていくうえでの基本的人権への(多少の)配慮や平等への(多少の)配慮は、ソビエト崩壊を機に、アメリカの独善の道をまっしぐら。それに追従して来た日本。あげくアメリカ発サブプライムローン問題から世界の金融資本主義が揺らいだ・・今も。新しい秩序を見出せないまま漂っている。
日本:異様な殺人事件の頻発、ワーキングプア、自殺者の増加、戦後構築してきたすべてに対しての行き詰まり感。
企業:今までの発想、今までのやり方、があっという間に通用しなくなる現実。同じ発想、同じやり方の中で続く過当競争。
個人:歴史という独立した学科なきまま、日本国民としての共通のアイデンテティーを持つ機会を奪われ、たった半世紀の短期間の間に失われてしまった日本人としての誇り、そして生きる根拠。国内には、まるで「業者」と「消費者」が存在するだけで、「市民」の存在が極端に希薄化した。
これから始まる新しい胎動はかすかに聞こえては来るが、まだまだ今という現実に姿を現すには程遠い。
こんな世の中に翻弄されて、子供たちに「将来の夢は?」と聞くことほどおぞましいことはないと感じる。
自分がなりたかった自分になりつつある姿を静かに示すのみ、あきらめずに!
それが精一杯、子供たちにしてあげられること、自分のためにも・・








